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信頼関係のない『イジリ』は『いじめ』の本質

僕が読んだある本の一文をタイトルにしてみた。

 

というのもものすごく自分の中でその言葉が確信をついていたから。

 

今回読んだ内容が書いてあった本はこちら

 

革命のファンファーレ 現代のお金と広告

 

信頼関係のない『イジリ』はいじめ。という言葉を聞いた時ゾッとした。

 

今までお節介やちょっかいだったりというのは形振り構わずやっていた人も多いのではないかと思う。

 

僕もその一人でもあるし、考えたこともなかった。

 

もちろんモラルといった部分では当たり前だが初対面の人だったりいきなりすれ違った人などにそんなこというわけもない。

 

本書の中にもあるがこういう言葉は何を言ったかより、誰が言ったかが大切ということ。

 

例えば中学の友人に10年振りに再会したとしよう、その時に太ったね。と言われたらどうだろうか?

  

10年振りに再会してそれかと、、、あなたも言われたらショック受けるだろう。

 

これを職場の同期や普段仲良くしている友人に言われても、イジリと感じるだろうし軽く受け流すことができるだろう。

 

要は信頼関係の大きさが大切ということ。

 

信頼関係は作り上げるまでは大変だ、しかし壊れるのは一瞬ということも知っているだろう。

 

今まで作り上げてきた信頼関係が溜まっているから、それはイジメではなくイジリになると思う。

 

その言葉を向けられた先とどのような信頼関係にあるのか?

 

よく考えて言葉を発しなければならない。

 

高校生の頃を思いだして欲しい、僕にはこういう経験がある。

 

僕は気が合う仲間内5人ほどで過ごしていたが、その中ではやはり一人一人のキャラクターが合った。いじられキャラの存在。

 

その仲間内ではどれだけいじっても本人がキャラを確立しているため、場が和むだけではなくさらに話が盛り上がった。

 

でもそこにはお互いを許している部分があり、見えない境界線が合ったのだと思う。

 

本人がイジメではなく、イジリと捉えていたのもそこには信頼関係がしっかり築けていたからだと思う。

 

もしいきなり転校生が入ってきて、まもない関係で同じイジリをされた『いじられキャラ』は違和感を感じるだろう。

 

『そこには信頼関係がないからだ』ということになる。

 

部活で嫌いな先輩に言われる一言に嫌悪感を抱く事はあるが、同じ部活の先輩でよく面倒見てくれる人の一言は軽く受け流せるのに似ている。

 

信頼関係はそのくらい大切という事だ。

 

自分が大切にされたければ、まずは自分が周りの人を大切にしなければならない。

 

大切にしてあげた人とは信頼関係が生まれ、その人も返してくれるだろう。